2015年08月01日

利敵行為は敵対行為?

野良猫餌やり禁止へ=違反者に過料、都道府県初―和歌山

野良猫にエサをやるのが「無責任」というのがすでに認められた共通認識のようだけど、 野良猫自体はすでにもう「存在」している。 何代も前に「野良猫になった」のもいるが、飼い猫だったものが捨てられて「野良猫になった」 ものがほとんどではないか? 「捨てる」のが無責任であって「すでに存在している命に最低限の食料をあげる」のが 無責任で条例で禁止するようなことか? 当然のことながら、飢餓状態になればゴミ箱をあさったり別の動物 (これまた 当然ながらペットも含まれる)を襲って食べたりもする。

それともエサをあげなければ「餓死する前に生殖能力だけを減退させる」とでもいうのだろうか? 「野良猫がうっとおしい」→「うっとおしいやつを喜ばせる事をする奴は敵だ」てな論理ではないか? 「うっとおしいやつはどんな方法手段だろうといなくなればいい」という虐殺してクビをそこらに 転がしてるやつの一歩手前の行為を正当化してるだけではないか?

例えばペットショップで買う時に「最後前めんどうみます」という誓約書と預かり金をとったり とか先にする手段はいくらでもあると思う。

posted by oi at 05:46| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする